2008年10月21日火曜日

トレーニングの本質

トレーニングとは、「一定の基礎的な学習を反復練習しながら身に着けていくこと」(http://ja.wikipedia.org/wiki/トレーニング) であり、教育の1方法である。

教育は様々に定義されてきたが、その定義の仕方は大きく次の4種類に分けることができる。
 語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」)
 目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」)
 方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」)
 機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」)

 ここでは、「教育とは人の持つ諸能力が引き出されるよう導くことである」とする定義を採用して論議を進める。

 ほとんどの人には現時点において容易にまたは全く行うことが出来ない事柄がある。しかし、それを偶然ではない何らかの方法によって、行いうる事柄に変えることができたとする。この方法の適用や伝達が他者によってなされた場合に狭義の教育を受けたとみなすことが出来る。つまり、その他者によって能力が引き出されるように導きを受けたといえる。一方、自分自身での試行錯誤や文献などの資料から能力を高めた場合は、自己学習をした言える。
 ここで、「導き」に含まれるさまざまな意味の中から、現在の地点からある別の地点への物理的な移動を助けることに限定して考えてみる。すると、導くとは方向や距離、着地する足の高低や地面の柔らなさなどを示して、導きを受ける側の者が自らの力で当該地点にたどり着けるように援助をすることと捕らえることができる。もちろん、すでに持っている能力に応じて援助の範囲は変化することとなる。
 たとえば、目が全く見えない者に対しての導きは詳細なものになるべきであり、自分で再度同じ道を進むことが出来るようにするためには、視覚以外の方法で印となるものを用意する必要がある。逆に、当該箇所をよく見知っている者に対する導きは、「XXの交番から右へ15メートル」などのようにポイントとなるものを示すだけで十分となる。
 また、導きを与える側の物は導く事柄に対して充分な能力を持っている必要がある。そうでないと、盲人を手引きする盲人の喩えのようの状態に陥ってしまうであろう。

■まとめ
 トレーニングとは教育の一種であり、目的とする能力を獲得するために、
                        基礎となる事柄を反復練習しながら身につけていくこと

 トレーニングを施す人は、当該能力を充分に備えている必要がある

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